「灼熱通勤」の思い出 都会でも日常だった冷房のない電車 懐かしいけど戻りたくない…
数字で見る通勤電車の冷房化 山手線での冷房車の見分け方とは
通勤電車の冷房車は1968(昭和43)年に京王井の頭線で導入されました。国鉄では1970(昭和45)年に山手線で初登場しました。山手線の冷房化率は1974(昭和49)年に31%、1978(昭和53)年に54%と過半数になり、1982(昭和57)年に76%まで上昇しています。運転室付近の3両か4両が冷房車で、中間車は非冷房という編成もありました。103系電車のうち、運転台窓が高い後期形は冷房付き、そんな見分け方でした。山手線の冷房化率100%は、全編成が205系電車に置き換わった1988(昭和63)年頃と思われます。
一方の地下鉄は開業当初、「地下トンネルは夏に涼しく冬に暖かい」という触れ込みでした。電車はすべて非冷房でした。しかし、その神話は高度経済成長が崩しました。都会の気温が上がり、乗客の増加に合わせて電車を増発し「熱源」が増えたためです。
『Tokyo Metro News Letter』第69号(2017年8月)は東京メトロにおける冷房化の歴史を紹介しています。1964(昭和39)年に日比谷線が開業した頃から地下鉄内の気温と湿度が上昇傾向と判明し、対策の検討が始まりました。まずは駅の冷房化に着手。1971(昭和46)年に銀座駅と日本橋駅で冷凍機を使った冷房装置が稼働し、33度だった駅構内の温度が24度まで下がったそうです。
関東での通勤電車冷房化の嚆矢としてあげるなら…
同じ京王帝都電鉄の車輌でも 井の頭線の3000型 ではなく、本線系の5000型 とするのが一般的なはずだが……
トンネル昇温の原因は…
加減速の際の抵抗制御や発電ブレーキによる排熱 のみではなく、トンネル周囲の地下水位の低下 もあったと思われるが触れていないなぁ…
それと…
営団がトンネル冷房から車輌冷房に転換するまでは、乗り入れ各社の冷房車が境界駅で冷房を切り…、頭上の音が消えるとともに絶望感に襲われ…、逆だと頭上でゴォォォ…と音がすると共に冷気が吹き出されてホッとした… なんていうのも……
> 旧5000系が大井町線(当時は田園都市線)の主力車種だった1980年代
→1980年頃
1980年代後半には運用されていなかったかと。
確かに夏の地下鉄は暑かったです。
特に帰宅時のタイミングともなると
日中の暑い空気が校構内へ充分入ってきており、
改札を通ってホームへの階段を下りていくと、
まるで足からサウナへ入っていくような感覚でした。
車両の下から湧き出る機械類の熱と人いきれが
ないまぜになって気分が悪くなる人も続出。
乗車率250%の日比谷線 上野-北千住の通勤はひと仕事でした。
山の手線冷房編成の見分け方(高運転台の後期車)、
甘いぜ ! 紹介の「中央付近2~4両非冷房」の他にクハだけ後期車で中間車8両全部非冷房という通称キセル編成ってのが有ってだな、折角の先頭車冷房機も肝心な隣のモハに冷房用電源が積んでいないのでクーラーを使用できなかった。つまり遠くから近づいてくる姿は新型だが編成全体が実質非冷房。