「灼熱通勤」の思い出 都会でも日常だった冷房のない電車 懐かしいけど戻りたくない…
トンネル内を冷房した営団地下鉄 今は?
トンネル内冷房も同時に実施されました。銀座線の稲荷町~上野間で、トンネルにパイプを巡らせて、8度の冷却水を循環させる方式です。その後、採用路線は増えていきました。車両の冷房化が進まなかった主な理由は、消費電力が大きくなるからでした。しかし、省エネルギー車両の開発により冷房装置を稼働させる方針となって以降、トンネル内冷房は終了しているとのことです。
営団地下鉄(現・東京メトロ)は、1988(昭和63)年から日比谷線、東西線、千代田線、有楽町線、半蔵門線で冷房車両を導入し、1990(平成2)年から銀座線、丸ノ内線にも冷房車両を導入します。1988年に11%だった冷房化率はその後、順調に上がり、1996(平成8)年、ついに冷房化率100%を達成します。これは営団車両の実績で、相互直通運転先の車両は1988年に30%、1996年に100%になりました。当初は直通相手がリード、しかしゴールは一緒。まるで同じ目標に向けて力を合わせたような推移です。
熊本で青ガエルに再会 懐かしいけど暑かった
青ガエルこと東急旧5000系は、熊本電鉄で2016(平成28)年まで営業運行していました。筆者は2008(平成20)年の夏に乗車。懐かしく思いましたが、やはり8月の熊本は暑いものでした。車内には「冷房装置を取り付けたかったけど車体強度が足りなくてできません」という内容の掲示がなされていました。最後まで走った青ガエルの引退は寂しいですが、沿線の人々は冷房車への置き換えでうれしかったのではないかと思います。
当たり前だった非冷房車。その暑さも懐かしい思い出です。しかし、もう冷房車のない時代には戻れません。蒸し暑い電車は思い出だけで十分です。
【了】
Writer: 杉山淳一(鉄道ライター)
乗り鉄。書き鉄。ゲーム鉄。某出版社でゲーム雑誌の広告営業職を経て独立。PCカタログ制作、PC関連雑誌デスクを経験したのち、ネットメディアなどで鉄道関係のニュース、コラムを執筆。国内の鉄道路線踏破率は93パーセント。著書に『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。日本全国列車旅、達人のとっておき33選』(幻冬舎刊)など。
関東での通勤電車冷房化の嚆矢としてあげるなら…
同じ京王帝都電鉄の車輌でも 井の頭線の3000型 ではなく、本線系の5000型 とするのが一般的なはずだが……
トンネル昇温の原因は…
加減速の際の抵抗制御や発電ブレーキによる排熱 のみではなく、トンネル周囲の地下水位の低下 もあったと思われるが触れていないなぁ…
それと…
営団がトンネル冷房から車輌冷房に転換するまでは、乗り入れ各社の冷房車が境界駅で冷房を切り…、頭上の音が消えるとともに絶望感に襲われ…、逆だと頭上でゴォォォ…と音がすると共に冷気が吹き出されてホッとした… なんていうのも……
> 旧5000系が大井町線(当時は田園都市線)の主力車種だった1980年代
→1980年頃
1980年代後半には運用されていなかったかと。
確かに夏の地下鉄は暑かったです。
特に帰宅時のタイミングともなると
日中の暑い空気が校構内へ充分入ってきており、
改札を通ってホームへの階段を下りていくと、
まるで足からサウナへ入っていくような感覚でした。
車両の下から湧き出る機械類の熱と人いきれが
ないまぜになって気分が悪くなる人も続出。
乗車率250%の日比谷線 上野-北千住の通勤はひと仕事でした。
山の手線冷房編成の見分け方(高運転台の後期車)、
甘いぜ ! 紹介の「中央付近2~4両非冷房」の他にクハだけ後期車で中間車8両全部非冷房という通称キセル編成ってのが有ってだな、折角の先頭車冷房機も肝心な隣のモハに冷房用電源が積んでいないのでクーラーを使用できなかった。つまり遠くから近づいてくる姿は新型だが編成全体が実質非冷房。