「灼熱通勤」の思い出 都会でも日常だった冷房のない電車 懐かしいけど戻りたくない…

詰襟に汗がたまる… 車内で涼しいのは連結部…

 自由が丘駅(東京都目黒区)で東横線に乗り換えても、冷房車に当たれば幸運という時代でした。しかし渋谷駅で地下鉄銀座線に乗り換えると、こちらは全車が非冷房でした。高校の制服は詰襟だったため、開襟シャツが許される時期の前後は襟に汗がたまるほどの暑さでした。

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熊本電鉄5000形として走った東急旧5000系電車「青ガエル」。譲渡先でも非冷房だった(2008年8月、杉山淳一撮影)。

 東急で最後に冷房化された路線は世田谷線です。緑色の150形電車はずっと非冷房でした。筆者は新入社員時代の半年間、世田谷線の世田谷駅のそばに住んでいました。蒸し暑く、混み合う車内で汗をダラダラ垂らして通勤しました。電車の連結部の窓から吹き込む風が一番強く、その場所を目指して乗り込みました。三軒茶屋駅(東京都世田谷区)で新玉川線(現・田園都市線)に乗り換えるとホッとしたものです。東急電鉄の電車の冷房化100%達成は2001(平成13)年のことです。

 首都圏では1990(平成2)年頃まで非冷房車がたくさん走っていました。国鉄(現・JR東日本)の電車も非冷房車が多かったと記憶しています。ちなみに「通勤地獄」と呼ばれた時代は1960年代後半です。乗車率300%の大混雑は冷房車がない頃でした。夏は灼熱地獄だったと言えそうです。

【写真】今も非冷房車 暑さ対策で車内にあるものは?

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コメント

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4件のコメント

  1. 関東での通勤電車冷房化の嚆矢としてあげるなら…
    同じ京王帝都電鉄の車輌でも 井の頭線の3000型 ではなく、本線系の5000型 とするのが一般的なはずだが……

    トンネル昇温の原因は…
    加減速の際の抵抗制御や発電ブレーキによる排熱 のみではなく、トンネル周囲の地下水位の低下 もあったと思われるが触れていないなぁ…

    それと…
    営団がトンネル冷房から車輌冷房に転換するまでは、乗り入れ各社の冷房車が境界駅で冷房を切り…、頭上の音が消えるとともに絶望感に襲われ…、逆だと頭上でゴォォォ…と音がすると共に冷気が吹き出されてホッとした… なんていうのも……

  2. > 旧5000系が大井町線(当時は田園都市線)の主力車種だった1980年代

    →1980年頃

    1980年代後半には運用されていなかったかと。

  3. 確かに夏の地下鉄は暑かったです。

    特に帰宅時のタイミングともなると
    日中の暑い空気が校構内へ充分入ってきており、
    改札を通ってホームへの階段を下りていくと、
    まるで足からサウナへ入っていくような感覚でした。

    車両の下から湧き出る機械類の熱と人いきれが
    ないまぜになって気分が悪くなる人も続出。
    乗車率250%の日比谷線 上野-北千住の通勤はひと仕事でした。

  4. 山の手線冷房編成の見分け方(高運転台の後期車)、
    甘いぜ ! 紹介の「中央付近2~4両非冷房」の他にクハだけ後期車で中間車8両全部非冷房という通称キセル編成ってのが有ってだな、折角の先頭車冷房機も肝心な隣のモハに冷房用電源が積んでいないのでクーラーを使用できなかった。つまり遠くから近づいてくる姿は新型だが編成全体が実質非冷房。