よく見ると「鉄道空白地帯」三鷹、なぜ? 実はいくつもあった計画
JR京葉線の三鷹延伸はどうなった?
鉄道史家の森口誠之氏は「当時の京王と西武の経営状況、そして社会情勢を考えても、両社ともに新線を具体化するだけの力があったとは思いにくい」とした上で当時、多摩地区のバス輸送の免許取得を巡る争いが激化していたことから「バス免許の争奪戦を優位に進めるため、鉄道建設を推進する姿勢を見せて相手を牽制しようとした」と指摘しています(『鉄道未成線を歩く vol.7』)。
結局、戦前と同様、市街化が進んだ地域での新線建設は現実的ではなく、西武線と中央線、中央線と京王線の間にはバスによる“縦”のネットワークが構築されました。
ただ、実は今でも三鷹付近を通過する新線構想が存在しないわけではありません。2016(平成28)年に公表された最新の答申にも含まれている、JR京葉線を東京駅から新宿駅を経由して三鷹まで延伸し、中央線と直通運転を行う計画です。
あくまでも構想止まりで詳細なルートは決まっていませんが、国鉄時代の計画では新宿駅と三鷹駅の間に、丸ノ内線 方南町駅付近、井の頭線 浜田山駅付近の2駅を設置するとしており、仮に実現したとしても、市内をかすめるだけで、市内に三鷹以外の駅が開業することはなさそうです。また4000億円以上ともされる莫大な建設費を、コロナ後の国や都、JR東日本が負担できるとは考えられず、この計画もやはり幻のまま終わりそうです。
【了】
※一部(京王電気軌道の開通区間)修正しました(6月20日20時)
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
三鷹事件が影響しているのかと思ってイタが、そういう理由だつたのか。
多摩モノレール方式で、人見街道とか連雀通りを通せないか?
中央線の線路が中野から立川まで長い直線なのは、八王子方面に繋ぐにあたって最も効率のよいルートだったからといわれています。
違います。
青梅街道と平行ルートで田無を通るルートと、甲州街道と平行ルートで府中を通るルートを計画していたけど、田無と府中の養蚕農家に反対され困っていた所、ある人が武蔵境の土地を買い占めて駅まで作って寄贈したんですよ。
地元民なら小学校で習うほど有名な話です。
それ全部俗説。今じゃ全部否定されてたと思うけど。
当時の新聞に地元民の反対の声があると載っただけで、反対運動があったという明確な記録は皆無なんだよ。
仮に武蔵境の駅位置が決まってたとして、それと中野~立川間が直線な理由に何の関係が?
「オラが村の偉人が私財を投げ打って鉄道を引っ張った」的な、ホラ話とは言わないが多分に誇張されたネタ話でしょう。小学校で教わる地元民しか知らない話、とか信憑性の欠片も無いし。
JR三鷹駅から徒歩圏以外は何も無くて本当に不便。周辺の市と比べても開発が遅れている印象。
富士見ヶ丘~三鷹となると…
分岐は富士見ヶ丘でも神田川沿いに崖があるから久我山直前まで並行し左に別れて人見街道沿いに進路をとり 久我山~三鷹 のバス
鷹64 のルート沿いに… なんていうあたりですかね…
富士見ヶ丘 ・久我山~吉祥寺~三鷹と
平行四辺形になるような…
鉄道だけでなく、商業施設も少ないよね、三鷹。