「銀座線の大減便」歴史振り返れば納得? 100年前から高頻度運転の理由 改良は継続
開業後長らく1両編成だった銀座線
なぜ小型の車両を用いることになったのか。銀座線の浅草~新橋間を開業した東京地下鉄道の社史には、全長17m、幅2.8mの省電(現JR)サイズでは閑散時間帯の輸送力が過剰で、全長11m、幅2.2mの路面電車サイズではラッシュ時間帯の輸送力が不足するとして、その中間程度の大きさの車両規格を採用したと記されています。その上で、基本的には輸送力は運転間隔の変更で調整し、それでも対応できない場合は車両を増結して補うという考え方を取りました。
ライバルの山手線は銀座線が開業した1927(昭和2)年12月時点、既に5両編成でラッシュ時4分間隔、日中8分間隔の運転を行っていました。当時から東京圏鉄道ネットワークの中心であった山手線とは異なり、上野~浅草間2.1kmをつないだに過ぎない銀座線の利用者はわずかなものでしたが、それでも1日を通じて単行(1両)による3分間隔運転が行われ、翌年4月からは利用者の増加に対応して2分30秒間隔に増発しています。
営団地下鉄が1981(昭和56)年に発行した『地下鉄運輸50年史』から銀座線のダイヤの変遷をたどってみると、1930年代初頭は利用が低迷したため5分間隔に変更しているものの、都心への延伸とともに2分30秒間隔の運転を再開しました。
銀座線は1934(昭和9)年に新橋まで開業しますが、この時もまだ輸送力に余裕があり、基本的には単行で、正月など繁忙期のみ2両編成にしていたようです。1939(昭和14)年に新橋~渋谷間を開業した東京高速鉄道との相互直通運転が始まると2分間隔運転となり、ラッシュ時は3両編成の列車も運転されるようになりました。
やっとまともな混雑率になったのに、減らしてどうする。
乗客は、相変わらす貨物扱いか。