軽巡が潜航する感じ!? アメリカ本土を目指した“潜水空母” 旧海軍「伊400」の顛末は
旧日本海軍の潜水艦「伊400」が1944年の1月18日に進水しました。「潜水空母」の異名を持つ同艦の任務はアメリカ本土の攻撃。水上機を搭載のうえ潜航し、アメリカ東海岸を目指そうとしますが、当時の戦況がそれを許しませんでした。
計画では18隻竣工 しかし実際は3隻に留まる
1944(昭和19)年12月末、「伊400」は竣工します。しかしすでに戦局は悪化の一途をたどっており、日本本土は連日激しい空襲にさらされ、物資や燃料も欠乏していました。そのような戦況にあって、「伊400」のアメリカ本土攻撃は変更を余儀なくされました。
1945(昭和20)年5月に同盟国ドイツが降伏すると、米英艦隊が大西洋方面から移動してくると予想され、いったんは攻撃目標がパナマ運河とされます。しかし効果が薄いと、ウルシー環礁(現・ミクロネシア連邦)に攻撃目標が再度変更されました。ここはアメリカ空母艦隊の停泊地でした。
7月末、「伊400」は同型艦「伊401」とともに青森県の大湊を出撃します。水上攻撃機を特攻作戦に使用する計画で、偽装のため機体にはアメリカ国籍を示す星条旗が施されました。攻撃予定日は8月17日でした。
しかし周知の通り、その2日前の8月15日に日本は無条件降伏します。攻撃は中止となり、「伊400」「伊401」は日本へ帰還することになりました。偽装までした水上攻撃機も実戦投入されることなく、海中へ投棄されました。
その帰路、2隻は三陸沖でアメリカ軍の駆逐艦と潜水艦に拿捕されます。アメリカ軍兵士はその大きさと、潜水艦に航空機を搭載するという発想に、たいそう驚いたそうです。2隻は1946(昭和21)年1月にアメリカ本土で技術調査されると、その後、ハワイ近海で標的艦とされ撃沈処分されました。
最終的に伊400型は「伊400」「伊401」「伊402」の3隻が完成しました。しかし、戦局の悪化や竣工時期が終戦間際だったことなどから、いずれもその本領を発揮できたとはいえないでしょう。
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