「夕景と相まって幻想的」 片方の路線が“休止”する津軽平野の私鉄 水田とリンゴ畑を駆ける姿を上空から追う
弘南鉄道は弘前~黒石間の弘南線、中央弘前~大鰐間の大鰐線の2路線が運行されていますが、大鰐線は2028年3月末での休止が発表されました。2021年に空撮した両線の模様をお伝えします。
別会社だった弘南鉄道の2路線
風薫る五月晴れの日。青森空港の滑走路を西へ向けて離陸すると、すぐ目の前は黒石市内と津軽平野が広がります。見渡す限りの水田は田植えを控えて水が張られており、海原のように平野を覆っています。その平野では弘南鉄道の電車が走っています。空撮用のセスナ機で捉えるのは、津軽平野を行く弘南鉄道弘南線と大鰐線です。
黒石市内と弘前市内を結ぶのは、弘南線です。黒石の街は弘前藩の支藩として栄えたものの、明治時代に開業した官設鉄道奥羽北線(現・JR奥羽本線)のルートから外れてしまいました。やがて、黒石には官設鉄道黒石軽便線(後の黒石線)が1912(大正元)年にいち早く到達。当初は弘前へ結ぶ予定でしたが、平川などを渡らずに五能線との分岐駅で知られる川部駅に接続しました。
とはいえ、黒石の人々にとっては、藩政の時代から繋がりの深い弘前への延伸が悲願でした。そこで地元有力者が中心となって、1927(昭和2)年に弘南弘前(現・弘前)~津軽尾上間を結ぶ弘南鉄道を開業させました。終戦後に電化し、1950(昭和25)年に弘南黒石(現・黒石)まで開業となりました。なお、黒石線は国鉄の赤字83線に含まれて弘南鉄道に譲渡されたものの、利用者増には至らず、1998(平成10)年に廃止されました。
もう1路線の大鰐線は、名湯の大鰐温泉へと足を延ばす路線で、弘南線が水田地帯を行くのに対して、大鰐線は弘前市郊外の街やリンゴ畑の中を行きます。大鰐線の前身は弘前電気鉄道といい、大鰐~中央弘前間が1952(昭和27)年に開業しました。同じ弘南鉄道なのに弘前駅の場所が離れているのは、元々別会社であったためです。この路線は沿線の地域輸送に活躍したものの、すでに大鰐温泉~弘前間を奥羽本線が結んでおり、バス路線も競合していたため苦境に立たされました。
そのため、弘前電気鉄道は1970(昭和45)年に弘南鉄道へ吸収合併され、大鰐線と弘南線の2路線となったのです。そして2025年、弘南鉄道は大鰐線について、利用者数減少と経営環境により今後の運行継続が困難との判断を下し、休止とする旨を発表しました。2028年3月31日をもって運行を終了し、翌4月1日以降は休止となります。
弘南鉄道は奥羽本線を挟むかたちで2路線が線路を延ばしているものの、接続地点はありません。車両基地は弘南線が平賀駅、大鰐線が津軽大沢駅に併設されており、主力は元・東急電鉄の7000系電車2両編成です。また、アメリカ製の電気機関車2両、国鉄から譲渡されたキ100形ラッセル式除雪車2両がそれぞれの車両基地に配置され、厳しい冬に大活躍してきました。今や古豪のキ100形と電気機関車は、弘南鉄道のマスコット的存在となっています。





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