通勤電車は平成にこれだけ変わった! いまでは「当たり前」の座席・設備、いつから?

平成時代に普及し、消えていった「多扉車」

 営団地下鉄は1990(平成2)年、日比谷線で特に混雑する前後2両を5扉とした新型03系電車を投入。翌年、京王電鉄も全車5扉の6000系車両を増備しました。一方JRは1991(平成3)年から山手線の11両化に着手し、増結する車両はラッシュ時間帯に座席を収納できる6扉車としました。この車両は当初「いすなし電車」「荷物扱い」とセンセーショナルに取り上げられましたが、横浜線、京浜東北線、中央・総武線など各路線に広がっていきました。東急電鉄も2005(平成17)年から田園都市線に6扉車の導入を開始し、最終的に1編成あたり3両が組み込まれました。

 こうした「多扉車」は、ラッシュ時間帯には乗降時間の短縮効果を発揮しますが、日中は座席の少ない座りにくい電車として不評でした。平成初頭に200%を超えていた東京圏主要区間の平均混雑率は2003(平成15)年には170%台まで低下。2000年代後半からホームドア整備の機運が高まり、導入に向けて車両のドアの数や位置をそろえる必要も出てきたことから、JRは2007(平成19)年に登場したE233系から6扉車を廃止し、いまでは中央・総武緩行線にわずかに残るのみとなりました。東急も田園都市線にホームドアを設置するため、すべての6扉車を2017年までに4扉車に置き換えています。混雑に対応するための「多扉車」は平成に普及し、平成のうちに消えていった時代のあだ花でした。

 平成の時代に変化を遂げた座席といえば、優先席もそのひとつです。平成の初めまで「シルバーシート」と呼ばれていたこの席は、1973(昭和48)年の敬老の日から国鉄中央線の両先頭車両に設置されたもので、やがてほかの線区や私鉄・地下鉄にも広がっていきました。

 シルバーシートは当初、高齢者と障害者を対象とした座席でしたが、妊婦や乳幼児連れの人などを含む座席を必要とする人のための「優先席」に変わっていきます。1993(平成5)年に京王電鉄がシルバーシートを「優先席」に改称すると、1997(平成9)年にJR東日本も倣い、各社が続きました(東武鉄道などのように当初から「優先席」と呼称していた事例もある)。

この記事の画像をもっと見る(3枚)

テーマ特集「新生活に役立つ! 通勤ラッシュの乗り越え方から「座れる列車」「高速バス通勤」まで」へ

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。

6件のコメント

  1. JR東の209系(901系)から導入の座席袖仕切も忘れてはいけない。
    これのおかげで座席端着席者とドア脇通称狛犬ポジションとのトラブルが減ったのは良い。
    いっそ網棚の高さまで完全に仕切る方がもっと良いと思えるのだが…
    座席の区分も一人分ずつ小さな衝立を立てて区切ってしまうのはどうか?

  2. 冷房車。
    平成一桁のころは、
    まだ残ってたなぁ。

  3. 横浜線に103系が来た時は嬉しかったな
    しかも高運転台で青と緑の混結に横浜線の看板、東海道の湘南色に混ざるスカ色のグリーン車、マジ五色素麺のような美しさだったなー
    今の列車は優等生だけど昔の列車は土臭さに風景に溶け込む情緒がありましたね

  4. 103系の映像が全て関西だと、少し前まで現役だった点。
    だいだい:大阪環状線、大和路線直通快速
    青緑:東海道線・山陽線普通、阪和線普通
    黄緑:大阪環状線、大和路線、JR奈良線
    奈良線以外の103系はすべて撤退、奈良線の103系は、そろそろ消滅らしいが。

  5. この記事のとおり平成年間の変化は確かに大きいが、103系から209系、つまり前の東京オリンピックから1990年代までの変化は、同じ30年の長さでも、もっと凄まじかったようにも思う。
    E235系を見ても、209系を初めて見た日の衝撃がないのは、歳のせいだけではないと思う。
    バリアフリー対応、あらゆるえへの配慮、合理的で快適になったのは良かったが、くたびれた103系がガタピシ都心を闊歩していた、あの平成前半がただただ懐かしい。

    • すみません。あらゆるへの→あらゆる人への、です。