天気予報=「軍事情報」 米軍の超重要組織JTWCとは “日本の予報より正確”は本当か

ハワイに所在するアメリカ海軍と空軍の合同組織JTWC。ここはアメリカ軍が作戦を実施するうえで重要な気象情報を扱うセクションですが、一般にも情報を公開しています。かつて軍事機密だった天気予報、それが一般に浸透していった経緯を探ります。

四半世紀前、日本に襲来した台風がカタカナ名なワケ

 今から75年前の1947(昭和22)年9月8日、関東地方や東北地方に甚大な浸水被害をもたらした台風が南太平洋のマリアナ諸島沖で発生しました。「カスリーン」と名付けられたこの台風は、最低気圧960ヘクトパスカル。最大風速は中央気象台(現気象庁)の解析で45m/秒と、大抵の木造家屋が倒壊するとされる風速50m/秒に迫る勢いをもつ非常に強力なものでした。

 カスリーン台風は日本列島に接近すると、各地で大量の雨を降らし猛威を振るいます。結果、河川の氾濫や堤防の決壊により、全国で死者1077人、行方不明者853人、負傷者1547人、罹災者40万人という甚大な被害をもたらしました。

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JTWCの建物前に整列したスタッフ。白い制服を着ているのがアメリカ海軍所属で、中央のブルーの制服を着ているのがアメリカ空軍所属。そして向かって左側の私服姿が民間人。まさに合同組織といった趣である(画像:JTWC)。

 そのため、発生から四半世紀経っても、いまだに「カスリーン台風」という名は昭和史に名を轟かせていますが、そもそもなぜ、日本を襲った台風なのにカタカナ名称なのでしょうか。気象庁などは「台風〇号」と数字で呼ぶのに、数字でないのは何故なのか、それは当時の時代背景が大きく関係していたのです。

 カスリーン台風が発生した当時、日本は敗戦直後であり、アメリカの占領下にありました。そのため、日本に襲来した台風もアメリカが付与した名称で報道されていました。よって「カスリーン」とはアメリカが名付けた名称だからこそ、日本の呼び方とは異なっていたのです。

 ただ、日本も独自に台風観測をしていたため、日本側が台風と解析したのにアメリカがそれを解析せず、逆にアメリカが台風と解析したのに日本が台風と解析しないといった、統一基準がないゆえの弊害もありました。たとえば、カスリーン台風が襲来した1947(昭和22)年の台風の数を日米で見比べた場合、日本側は17個の台風を解析した一方、アメリカ側は27個の台風を解析するといった差が生じています。

【まるでデイトレーダーのよう】JTWCスタッフの作業スペースほか

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