【空から撮った鉄道】開業120年「崖の駅」が大変貌! 難工事で昭和と令和の駅舎がドッキング 工事は最終段階へ
JR御茶ノ水駅は改良工事が進行中で、神田川に挟まれた狭隘地に駅ビルを建設しました。駅がほぼ完成した姿をお伝えします。
この記事の目次
・狭い駅ホームの上にビルを建設
・駅ビルの植栽が空からのアクセントに
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狭い駅ホームの上にビルを建設
江戸時代初期、徳川幕府は仙台藩に普請を命じ、江戸の駿河台を掘削して人工の川を建設させました。この川は洪水対策や江戸城外濠の役目、水運にと活躍した神田川です。外濠は仙台藩の名を取って「仙台堀」と呼ばれ、人工の渓谷は神田川の川幅ほどしかない狭い空間でした。
一帯は「御茶ノ水」と呼ばれています。御茶ノ水は近隣の寺から湧き出る水を徳川秀忠の茶の湯へ献上したのが由来で、駿河台の地名についても、徳川家に仕えた駿河国の武士が居を構えたからと、何かと徳川家に縁があります。
明治時代になるとこの谷間に甲武鉄道が線路を敷設し、1904(明治37)年、お茶の水橋の西側に初代御茶ノ水駅が開業しました。わざわざ狭い所に線路を敷設したのは、当時の都市計画の観点から、市街地への鉄道乗り入れに行政が難色を示したためです。線路は妥協案のような形で、外濠沿いの狭隘地に敷設しました。また、甲武鉄道は都市部の電化に力を入れ、蒸気機関車ではなく電化路線となりました。狭隘池に敷かれた鉄道は、御茶ノ水駅開業当初から最先端の電車路線だったのです。
初代御茶ノ水駅は現在の交番付近に駅舎を構え、階下にホームのある構造でした。しかし、1923(大正12)年の関東大震災によって焼失してしまいます。その後、新たな都市鉄道として総武本線が高架橋で都心部へ乗り入れ、御茶ノ水駅が接点となりました。1932(昭和7)年に駅をお茶の水橋東側の現在地へと移転し、2面4線の構造へと大改造します。旧駅跡地は、現在若干広い線路敷地となっています。
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Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。日本写真家協会(JPS)正会員、日本鉄道写真作家協会(JRPS)会員。




