「今日がオレの最後かもしれない」 開戦初日に零戦54機の大編隊を率いた指揮官が経験した地獄と奇跡【大戦「その時」】
無敵と謳われた「零戦」で太平洋戦争の開戦を迎えた搭乗員たちは、決して自信満々だったわけではなかった──。1941年12月8日、台湾からフィリピンへ向けて出撃した指揮官が書き遺した壮絶な戦いの記録を振り返ります。
この記事の目次
・1コ大隊をひきいる感激
・自信を与えた第一撃の戦果
・旧式戦闘機に翻弄される!?
・恐ろしきは敵より天候!
1コ大隊をひきいる感激
※本記事は月刊『丸』(潮書房光人新社)2023年10月号に掲載された、旧日本海軍の元パイロット・海軍少佐、黒沢丈夫氏の回想録を改訂・編集したものです。
太平洋戦争当時の零戦(零式艦上戦闘機)二一型は、当時、無敵の戦闘機であった、と喧伝されている。
そのため、その搭乗員であったわれわれは開戦前から、自信満々で戦争に突入していったように思われがちである。
しかし、資料に示されたデータによってしか敵機を判断することのできなかったわれわれは、じっさいには、敵機をあなどりがたい強敵と評価していた。
だから、1941(昭和16)年12月8日、開戦にいたるや、われわれ三空(第三航空隊)搭乗員の多くが、この日が自分の命日になるであろう、と覚悟していたのである。
その決死の覚悟のうえに、フィリピンで待ちうける米空軍の撃滅作戦に参加し、勇躍出撃していったのであった。
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Writer: 月刊「丸」編集部
1948(昭和23)年2月に創刊した、80年近い歴史をもつ月刊誌。第二次世界大戦における戦争体験者の生の声を収集し、大戦当時の貴重な写真を掲載。発刊元は株式会社潮書房光人新社。




