「ゴオォォ…」も記憶の中に 東急8500系半世紀の歴史に幕 なぜここまで田園都市線のヌシに?

東横線で使われたことも

 ただ当初は4両編成でした。沿線人口の増加に伴い増結していき、10両編成となったのは1983(昭和58)年のこと。その間も、新玉川線が開通するまでは(当時の田園都市線だった)現・大井町線の区間を走行したほか、一部は東横線に転属するなど、東急電鉄の基幹路線で使われました。半蔵門線がまだ渋谷から半蔵門(東京都千代田区)までしか開通していなかったころは、8500系がピンチヒッターとして営団地下鉄に貸し出されたこともあります。

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直通先の東武線を行く8500系(2017年7月、草町義和撮影)。

 以降も1991(平成3)年まで製造され、一時は東急電鉄最多を誇る400両が在籍。なお、このころには各路線へ散らばっていた8500系も専ら田園都市線用となっており、いよいよ「田園都市線の顔」たる地位を築こうとしていました。

 1990年代末からは一部編成でリニューアル工事も始まります。内装を更新したほか行先表示器のLED化、廃障装置の取り付けなどが行われました。2000年代に入ると、後継車両である5000系電車の導入や、2003(平成15)年に開始される東武線との直通運転を見据え、8500系はリニューアルするか廃車にするかで編成の運命が分かれることとなります。

【写真】大井町線を走る在りし日の8500系

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