JR山手線の壁? 東京都心部まで行けない私鉄その理由 大阪と異なる環状路線の内側事情

環状線の内側を通る御堂筋線へ接続した大阪の私鉄

 1955(昭和30)年には都市部の交通問題を解決するため、運輸大臣の諮問機関として都市交通審議会が設置され、東京と大阪の通勤路線の激しい混雑を解消するための対応策が検討されました。

 その結果、東京では私鉄各社と営団地下鉄、都営地下鉄との相互直通運転実施が望ましいとする答申が出され、大阪では私鉄各社による市内中心部への乗り入れ路線の建設が望ましいとする答申が出されます。

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2020年6月に運行を開始した、速達かつ着席タイプの東武線・日比谷線直通列車「THライナー」(2020年6月、恵 知仁撮影)。

 東京では1960(昭和35)年の都営浅草線と京成線を嚆矢として、日比谷線と東武伊勢崎線、東急東横線などの相互直通運転が行われ、私鉄は自ら山手線の内側に路線を延ばすのではなく、新しく建設された地下鉄と直通運転を行うという基本方針が確立されました。

 一方、大阪では1963(昭和38)年に京阪本線が淀屋橋駅(大阪市中央区)へ、1970(昭和45)年には近鉄難波線が近鉄難波駅(現・大阪難波駅)への延伸を果たします。梅田と難波を結ぶ御堂筋線の存在感が強い大阪では、私鉄は御堂筋線に接続することで、市内中心部へのアクセスを実現する方式を取ったのです。

 こうして、元々は同じ「交通市営主義」を取った東京と大阪は、異なる形で交通ネットワークを発展させていった結果、私鉄が自ら都心へ線路を敷くか、地下鉄を介して乗り入れるかという違いが生じたのです。

【了】

【地図】こんなに違う! 東京と大阪の都心交通

Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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