扉が多い通勤電車 なぜいま消えているのか? 乗降時間短縮に効果の多扉車 しかし…
JR山手線や京阪線など、大都市圏の鉄道では混雑緩和を図るべく、ドア数の多い通勤電車「多扉車」が導入されました。輸送面では画期的でしたが、近年設置が相次ぐホームドアとの兼ね合いで、まもなく見納めとなります。
4ドア車の発端は戦時中の鶴見線
通常、1両あたり片側3か所または4か所のドアがついている通勤電車。ひと昔前まで首都圏の様々な路線で、5ドアや6ドアの「多扉車」が組み込まれていましたが、ここ10年で次々と引退が進み、JR東日本では中央・総武線各駅停車からまもなく姿を消す予定です。多扉車はどのようにして誕生し、なぜ消えることになったのでしょうか。
まずは通勤電車のドアの歴史を振り返ってみましょう。初期の電車は外と客室内が直接つながっておらず、車両の両端にデッキにつながるドアが設置されていました。言葉にするとややこしいですが、これは現在の特急車両や新幹線車両と同様のスタイルです。
ところが鉄道利用者が増加するにつれ、狭いデッキを介した乗降では時間を要するようになってきます。そこで都市部の電車では、まず客室の中央にドアを設置した3ドア車が登場。やがてデッキを省略してドアから直接車内に乗り込む現在のスタイルが確立しました。
長らく3ドアが標準の時代が続きますが、軍需工場への通勤輸送が急増した戦時中、混雑緩和を目的として鶴見臨港鉄道(現・JR鶴見線)に初めて4ドア車が登場。続いて、戦時輸送に特化した20m車体4ドアの標準型車両63系電車が登場し、特に首都圏では私鉄も含めて一般的な規格となりました。
戦後、鉄道利用者はさらに増加し、鉄道各社は列車の増発や車両の長編成化を進めますが、設備的な投資が限界に達すると、再び車両構造の工夫に目が向けられるようになります。
E233系は6ドア車を入れてない。